初代 明月歌流長者 称号印

最高得点者に渡されます





明月歌流長者

めいげつかりゅう の ちょうじゃ

小倉検定 明月歌流長者 称号印

歴代の長者はここに称されます。



第一回小倉検定最高得点者・百人一首文化教養資格者称号


初代長者


稲留 昌利


東京都






初代 明月歌流長者の講義


小倉百人一首の講義が東京にて開催されました。

長者が開催する一般参加可能な講習などがあれば、随時お知らせいたします。



初代 明月歌流長者インタビューの放送予定


FM調布 2月19日(火)21時30分〜

http://chofu-catch.sakura.ne.jp/minnadenet/n-gest.html



初代 明月歌流長者からのメッセージ

平成25年


上賀茂神社「曲水の宴」 見学記


 あけましておめでとうございます。一昨年夏にこの欄を更新したまま、昨年は何もせずに過ぎてしまいました。この様な事では、折角のこの欄に申し訳ないと思い、旧聞に属することではありますが、昨春の上賀茂神社「曲水の宴」見学記を纏めてみました。

 平安の昔、貴族達が、庭園の小川に杯を乗せた羽觴を流し、歌人は杯が流れて来るまでに短冊に和歌を書かねば、罰としてその杯でお酒を飲むという「曲水の宴」を催していたとか。この雅な曲水の宴が上賀茂神社で行われていると知り、これを見に昨年4月7日京都に出かけました。

 宿は、宮川筋にとりました。京都の方はご存知でしょうが、宮川筋は祇園の少し南で、歌舞練場もある粋な処です。実際、宿も昔は置屋さんか料理屋さんで、周りは並びも向いも殆どが料理屋か置屋です。夕方には芸妓さんや舞子さんがだらりの帯を締めて、速足で仕事場に向かうのを見かけました。

 翌日4月8日お昼頃、上賀茂神社に行き、曲水の宴見学の申込をしてから、お茶席に行きました。抹茶を頂いて外に出たら、十二単の正装に冠を戴き、頬の両側に飾り紐を垂らし、王朝風の粧いの斎王代や衣冠や小袿等王朝の衣裳の歌人たちが入場して来ました。

 昔は天皇の皇女内親王が務めた斎王ですが、現代では一般の未婚の女性(一般公募ではなく、京都ゆかりの名家のご令嬢が推薦で選ばれるとの由)が斎王の役割を代って務めるので、斎王代と言うらしい。「玉の緒よ絶えなば絶えね」の式子内親王も賀茂の斎王を務められた方です。

 今回の斎王代は、第56代の金井志帆さんで、お母様も23代の斎王代だったとか。さすが、神に仕える身としての王朝風の装束や化粧のこともあり、気品があり高貴で神々しいお美しさでした。  

 歌人は6人で、衣冠や小袿の装束の宮中歌会始の選者や冷泉家の人等で、男女ともそれなりの年配の方とお見受けしました。

 挨拶に続いて、斎王代から歌題は「梅」との発表があり、宴が始まりました。水干姿の童子たちが、杯を乗せた羽觴を流します。途中、童子たちが、竹の竿で羽觴を滞りなく流れる様にしておりました。本来であれば、杯が流れてくるまでに、即興で一首歌を詠まなければならず、出来なかった場合は、その杯でお酒を飲むが、しきたりだったそうです。

 上賀茂神社では、歌人たちそれぞれが、予め読んでおいた和歌を短冊に筆で歌をしたため、流れてくる杯でお酒を飲むという形で宴は行われました。この間、雅楽の装いの楽人達が奏する音曲が静かに聞こえるのみで、誰一人声を発する者はなく、童子の動きのみが変化の見られる事象でした。やや退屈でもあったのでしょうか、暫くすると離席する人もちらほら出てきました。

 和歌は、詠むことも味わうことも全くの素人の小生ではありますが、この中で最も好きと思える歌は、冷泉為弘先生の歌です。この曲水の宴の行われた場の情景とそれを愛でる人の心映えを、柔らかな「やまと言葉」で詠まれているのを好ましく思いました。

 この和歌が、冷泉家時雨亭文庫の方により、古式床しく朗詠・披露された後、斎王代・歌人が退席され、宴は終了しました。


平成23年



歌人ゆかりの地を巡って その2


 昨年、その1を掲載してから、かなりの月日が経ってしまいました。遅まきながら、その2を掲載いたします。よろしくお願いいたします。

 検定試験の翌日、まず初めに、一条天皇の皇后である定子のお墓「鳥戸野陵」に向かう。涌泉寺道のバス停で降り、約15〜20分ほど坂道を歩く。途中、細い道に入り住宅が終わる頃、道の右手に御陵への参道の階段があり、これを登りきった峰に鳥戸野陵があります。宮内庁の高札には、一條天皇皇后定子鳥戸野陵とあり、やや小さな字で醍醐天皇皇后穏子火葬塚を始め数人の皇后・女御の火葬塚が合わせ葬られている旨が記されていました。なお、定子皇后は死に臨み、土葬を望まれたそうで、「烟とも雲ともならぬ身なりとも 草葉の露をそれとながめよ」の歌も遺されております。  

 木立に囲まれた緑豊かで風の爽やかな所であった。木立の間から遥か京都の中心地を展望することが出来ました。

 皆様ご存知の通り、定子皇后は、62番「夜をこめて鳥のそら音は」の清少納言が仕えた貴人で、百人一首の原型ともされる百人秀歌には、その御製が選ばれております。それは「夜もすがら契りし事を忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき」で、三人目のお子様の内親王の誕生が難産のため、24歳で崩御された折の遺詠とのことです。

 なお、定子皇后が鳥戸野に葬られる折に、一條天皇は皇后を偲び「野辺までに心ばかりは通へども 我がみゆきとは知らずやあるらん」と詠まれました。

 定子皇后は、実家が権勢を失うなど失意の内に若くして崩ぜられ、お気の毒な生涯と思われますが、清少納言の枕草子により、美しさと共に思いやりや明るく華やかな性格で豊かな教養を身につけた貴婦人である事が、後世に伝わり、歴史の中に永遠の命を得たのではないのでしょうか。54番「忘れじの行末までは」の儀同三司母(高階貴子)は、定子皇后のお母様です。

 なお、1091年に満州の女真族の海賊が対馬や北九州に来襲した「刀伊の入寇」が起こっています。この時、太宰権帥として地元武士団を率いて、賊を撃退した藤原隆家は定子皇后の弟です。隆家は、兄伊周の思う女に花山法皇が通っていると誤解し、法皇に矢を射掛けた事件を起しております。雅と思われる平安貴族にも、強面はいたようです。

 この御陵にお参りし、次に三十三間堂に行きました。千体の千手観音はさすが壮観でした。この三十三間堂が後白河上皇の院庁でもあった法住寺の中に清盛が建てた事は知りませんでした。この後白河法皇の第三皇女は89番「玉の緒よ絶えなば絶えね」の式子内親王です。また第一皇女は90番「見せばやな雄島のあまの」の殷富門院大輔が仕えた殷富門院(亮子内親王)で、式子内親王の姉君にあたります。

 続いて、三十三間堂から六道珍皇寺に行きました。このお寺は11番「わたの原八十島かけて」小野?ゆかりの寺で、?は地獄の冥官として閻魔大王のもとで地獄に来た罪人を裁いていたそうです。?が地獄に通うための入り口が、この六道珍皇寺の本堂後ろの井戸だそうで、格子越しに眺めることが出来ました。境内のお堂には、閻魔大王の像と並んで?の立像が祭られておりました。なお、9番「花の色は移りにけりな」の絶世の美女、小野小町は、この?の孫といわれますが、定かかどうか?

 今まで知らなかったのですが、?を祭る小野照崎神社という神社が東京の下谷にあります。近いうちに、行ってみようかと思っています。

 続いて、初代住職が56番「あらざらむこの世のほかの」の和泉式部だという誠心院に行きました。ここは新京極通りに面するあまり大きくはないお寺で、境内には式部のお墓や和泉式部千願観音像、本堂には尼僧姿の式部の木像もありました。寺伝によれば、式部が仕えた上東門院彰子が父道長に頼んで、和泉式部のために法成寺の一隅に寺を建立したのが誠心院の初めとか。

 ご存知のことと思いますが、60番「大江山いく野の道の」の小式部内侍は、この和泉式部の娘です。

 誠心院の隣が、やはり和泉式部ゆかりの誓願寺です。娘の小式部内侍に先立たれた和泉式部は、その悲しさから極楽往生を願い、最後に誓願寺にてひたすら念仏を称え、往生したと寺伝にあります。私は読んでおりませんが、謡曲にも和泉式部が登場する「誓願寺」があるそうです。

 これで今回予定した所は、全て見て回りました。また、機会があれば京都や畿内の歌人ゆかりの地を巡ってみたいと思っております。

 拙文にお付き合い頂き有難うございます。


平成22年



歌人ゆかりの地を巡って その1

(平成22年10月20日)


 昨年の小倉検定の結果発表から、今日で一年経ちました。何とか1級にはなりたいと思っておりましたが、思いもかけず長者の栄誉に恵まれました。その日の夕方、家内と一緒に近所のイタリアンレストランに行き、ワイン(本当は日本酒党で、居酒屋が常なのですが)で祝杯を挙げました。

 この一周年を機に、昨年検定終了後、京都を巡った紀行記を記してみたいと思います。この時は、小倉検定に因み、主として百人一首の歌人ゆかりの史跡を訪ねました。京都や畿内ご在住の方にとっては、ご存知の話しばかりかも知れませんが。

  検定当日の9月20日は、当然のことながら、まず衣笠の立命館のキャンパスに行きましたが、その広さと豊かな緑に脱帽でした。東京都心の私学であれだけの自然に恵まれた大学はないのではないでしょうか。立命館の学生さんを羨ましく思いました。

 さて、検定終了後、北大路堀川にある「めぐりあいて」の紫式部のお墓と「わたのはら八十島かけて」の小野篁のお墓にお参りしました。れぞれ「紫式部墓」・「小野相公墓」と刻まれた石柱の後ろに直径1m位の土盛のお墓がありました。島津製作所に隣接する狭い一角でした。何故、式部と?のお墓が一緒に在るのか、このお墓が本当なのかは分かりませんが、特に式部は人気があるようで、記帳用のノートがあり、お参りする人のもちらほら見えていました。子供会?の見学の一行とも行き会いました。

 次に、上賀茂神社です。京都の町のかなり北にあたり神社の裏は直ぐに山で、それだけに緑豊かな所でした。家隆の「風そよぐ」の歌に詠まれた「ならの小川」があります。その川は、木立の中をきれいに澄んだ豊かな水が、今も流れておりました。川のほとりには立派な歌碑もありました。

 市内に戻り、陰陽師で有名な安倍清明を祭った清明神社や渡辺綱が鬼女の腕を切落した所という一条戻橋にも行ってみました。渡辺綱は源頼光の四天王の一人で、その頼光は清少納言や紫式部と同時代の人で、「恨みわび」の相模の養父とのことです。

 清明神社や一条戻橋から遠くない所にある「瀬をはやみ」の崇徳院を祭る白峰神社にも詣でました。明治初年、明治天皇の意向で讃岐の白峰神社から、その地で憤死された崇徳上皇の霊魂を京に呼び戻し祭ったとのこと。またこの場所は、飛鳥井家の始祖、「みよし野の」の雅経の屋敷跡との事。蹴鞠の名人だったとのことで、サッカーボールなどが奉納されておりました。

 この日の最後に、紫式部の屋敷跡と言う廬山寺にまいりました。これは、かなり信憑性のある説だとのことです。庭では、紫色の桔梗が初秋の風に揺れていました。式部と娘の「ありま山」の大弐三位の歌碑もあり、説明文には、式部の名は藤原香子(たかこ)、娘の三位は賢子(かたこ)とありました。

 翌日も歌人ゆかりの所を巡りましたが、長くなりますので次回に譲りたいと思います。


私と百人一首との出合


 皆様、こんにちは。この度、小倉検定協会のHPに、明月歌流長者からのメッセージ欄が設けられましたので、これを機に、私と百人一首との関わりなどについて記してみたいと思います。 
 初めて、百人一首に出会ったのは、小学校入学の前後頃だったと思います。家には祖父母もいて、祖母や母は一応百人一首を知っており、お正月には、家でも百人一首のカルタをしておりまた。最初に憶えた歌は、「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふさかの関」だったような気がします。口調が良かったので憶え易かったのでしょう。 
 中学は電車通学でしたが、その電車の中で百人一首の上の句と下の句を分けて書いたノートを見て、暗記に努めました。 
 その後、社会人になって、百人一首は、お正月に家族でカルタ取りをするくらいでしたが、ある時、岡田嘉夫さんの絵付きの「田辺聖子の小倉百人一首」を書店で見つけ購入しました。 
 この本に興味を持ったのは、単に歌の意味のみではなく、その歌の詠まれた背景や状況あるいはその歌人の人となりなどが書かれていたからです。また、百首の歌全てに岡田嘉夫さんの挿絵があり、それぞれに歌の情景や人物の表情・衣装も工夫され表現されており、絵だけを見ていても楽しくなります。 
 ともかく、この本で再び百人一首に興味を持つ事になりました。今回の小倉検定でも、この本を再度、精読し内容の記憶に努めました。 
 この「田辺聖子の小倉百人一首」は現在も市販されておりますので、百人一首にご関心をお持ちの方には、ご一読をお勧めいたします。ただ、残念ながら、現在の本では岡田嘉夫さんの挿絵は省かれておりますが。 
 皆様、駄文をお読み頂き有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。



◆明月歌流長者とは◆

明月歌流長者は、百撰・嵯峨山荘色紙和歌、小倉百人一首の知識人として認められた文化教養人であり、明月歌流の最高位として存在します。明月歌流長者は、小倉検定統一試験の唯一の最高得点者であり、明月歌流長者印を使用することができます。


文化庁文化力プロジェクト、関西元気文化圏参加事業登録「第一回小倉検定」の統一試験の最高得点者は東京都在住の稲留昌利さんでした。



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第一回小倉検定

第一回小倉検定学生実行委員会

第一回小倉検定受験者の皆様

初代明月歌流長者



衣笠歌人


明月歌流の歌人は明月歌流のマークを名刺で使用することができます。但し変形および自己のアピール以外で使用することを禁止しております。また金色または黄色系の色は小倉検定協会および明月歌流長者のみが使用できます。





明月歌流 題:『百』


鳥戸野や 清女の思い とこしえに ももとせちとせ(百歳千歳) 今もかほりて
(明月歌流最高位者、一條天皇皇后鳥戸野陵に詣でて、緑豊かにして吹く風今もすずしと詠む)




明月歌流 衣笠歌人

ここに公開する歌人の作品は、9月20日に京の北山にて明月歌流長者を決定する試験の際に詠まれた歌です(順不同)。

京都北山作歌人である以下の歌人は明月歌流のロゴを使用することが可能です。ご注意


題:けふ


歌人
しろかねに さはぐこころに てりはゆる 

      こがねまぶしき けふのあきぞら
詠み人知らず
秋の日の 今日北山の 学び舎に 

     小倉の和歌の 知識試(ため)さん
留利
秋の日に 京洛の地に つどい来て 

     小倉検定 受くる楽しさ
大槻
我思う 秋のこの日に 遠い地で 

    歴史のロマン 楽しなりけり
三木姫
けふあきに うたのこころを ならふとて 

      学びしことを 思ひ出(いだ)しぬ
夢宮
年明けて 歩みの早さ いつしかに 

     彼岸花咲く けふを迎へぬ
竹本
鴨川の 河辺で子鳥 水遊び 

    しぶきをあげて 親鳥をよぶ
you
けふのひを たとえるならば なんとする 

      川のせせらぎ 京野菜
稲拓也
あきたから ひのもといちを めざすため 

      じょうらくせむ けふのみやこ
養少納言
ちはやふる まんがはとても 好きなれど 

      けふのけんてい むつかしきかな
大宮のおんちゃん
今日はいざ 小倉検定 むずかしい 

      ひたすらやって がんばってとく
あぎゅもん
むづかしい けふの試験が 終わったら 

      京のお菓子を おたべやす
えっちゃん
10月21日追加作品

けふの日は 老いも若きも つどい来て

      いにしえの歌を 楽しく学ばむ
べんちゃん

公開可と指定されている作品のみ公開しております。公開および公開不可のどちらにも選択されていないものは非公開としました。また、名が記されていないものは「詠み人知らず」として扱いました。


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